承徳に行ってきました
承徳に行ったと、話しても分からない人がほとんどです。
清朝の皇帝が夏の時期は北京が暑いので、承徳に移動して、政治を行なっていた場所です。
最近は中国の軽井沢として戴河の名前がよく出ています。
私が承徳の地名を知ったきっかけは、清朝の乾隆帝?がチベットのダライラマを招待する時に
チベットにあるラサのポタラ宮殿を真似て建設したものがあると知って是非見たいと思ったためです。広州から金曜日の夜に北京に移動して、土曜日と日曜日に見学をして、日曜日の夜に広州に戻るという強行日程です。
朝の7時にホテルからタクシーに乗って、集合場所に着ました。
まだ、朝早いので観光客もほとんど集まっていません。
因みに時間どおりに集まるのは日本人の悪いくせですね。
色々な行き先のバスが集まるので、どこ行きなのかを確認して、自分が乗るバスを探すまでドキドキしていました。
出発の時間になっても、発車しません。原因は一緒に同行する添乗員がドタキャンをしたため遅れてしまいました。私がバスを見つける前に添乗員に電話をしたので、本人とは30分ぐらい前に電話で話しをしていましたが、その後にドタキャンをしたようです。なんでも有りなので、動揺したら負けですね。
北京から4時間半以上バスに揺られて到着したホテルです。もちろん星なしです。
到着したので、まず荷物を部屋に入れて、その後は乗って来たバスで、最初の観光地に移動するとの話です。
でも、全員の集団行動のため時間が遅くなるので、私は自分で移動をすると話して、辞退をしました。
ホテルの中庭に色々と備品が並べられています。どうも、前の経営のホテルが倒産して、隣接のホテルが買収したので、古い家具や備品の処分をしている様です。
ちょっと部屋の方が心配になりました。
ベッドのシーツは少しだけ湿気ていましたが、特に問題はないようです。
バックパーカーの人がよくやっているベッドのソファーを持ち上げて、虫やシラミがいないかの確認は必要ない状態です。
この後に見学したポタラ宮殿のコピーは、明日以降に紹介します。
承徳に行ったと、話しても分からない人がほとんどです。
清朝の皇帝が夏の時期は北京が暑いので、承徳に移動して、政治を行なっていた場所です。
最近は中国の軽井沢として戴河の名前がよく出ています。
私が承徳の地名を知ったきっかけは、清朝の乾隆帝?がチベットのダライラマを招待する時に
チベットにあるラサのポタラ宮殿を真似て建設したものがあると知って是非見たいと思ったためです。広州から金曜日の夜に北京に移動して、土曜日と日曜日に見学をして、日曜日の夜に広州に戻るという強行日程です。
朝の7時にホテルからタクシーに乗って、集合場所に着ました。
まだ、朝早いので観光客もほとんど集まっていません。
因みに時間どおりに集まるのは日本人の悪いくせですね。
色々な行き先のバスが集まるので、どこ行きなのかを確認して、自分が乗るバスを探すまでドキドキしていました。
出発の時間になっても、発車しません。原因は一緒に同行する添乗員がドタキャンをしたため遅れてしまいました。私がバスを見つける前に添乗員に電話をしたので、本人とは30分ぐらい前に電話で話しをしていましたが、その後にドタキャンをしたようです。なんでも有りなので、動揺したら負けですね。
北京から4時間半以上バスに揺られて到着したホテルです。もちろん星なしです。
到着したので、まず荷物を部屋に入れて、その後は乗って来たバスで、最初の観光地に移動するとの話です。
でも、全員の集団行動のため時間が遅くなるので、私は自分で移動をすると話して、辞退をしました。
ホテルの中庭に色々と備品が並べられています。どうも、前の経営のホテルが倒産して、隣接のホテルが買収したので、古い家具や備品の処分をしている様です。
ちょっと部屋の方が心配になりました。
ベッドのシーツは少しだけ湿気ていましたが、特に問題はないようです。
バックパーカーの人がよくやっているベッドのソファーを持ち上げて、虫やシラミがいないかの確認は必要ない状態です。
この後に見学したポタラ宮殿のコピーは、明日以降に紹介します。
by tyuugokutaikenn
| 2008-10-01 00:48
| 承徳訪問